第三回 ~街歩き編②~ 上板南再開発 コモディイイダ・旧川越街道

テーマ 「再開発ってなんでこんなに時間がかかるの? ~上板橋駅南口駅前地区再開発~」

Q.上板橋って、どんなところ?

江戸時代初期に板橋は下板橋村と上板橋村に分割。今の日大病院入口あたりから南には大谷口、向原、小茂根、江古田あたりまで。西には、弥生町、常盤台、東新町、桜川、上板橋の下練馬(現在の練馬区北町)の手前までが、上板橋でした。
旧川越街道の上板橋宿は石神井川にかかる下頭橋付近までをいうそうですので、最寄り駅は中板橋駅になりますが、東上線開業当初には、下板橋駅の次は、上板橋駅しかありませんでした。上板橋村の役場は東新町にある安養院さんの前の桜川いこいの家があるところに置かれていました。
昭和初期の川越街道の拡張工事の際に、上板橋村の飯島弥十郎村長の屋敷の樹を残すのを条件に土地を提供したということで、道路中央に「五本けやき」が今も残っています。
そんな上板橋ですが、じつは、城北地区の一大拠点ターミナル、「下北沢」あるいは「自由が丘」のようになっていたかもしれませんでした。それは、幻の「西板線」と「啓志線」・・・ いったいどんな過去が。

Q.昭和50年代からの懸案のまちづくり?

上板橋駅南口に住宅公団が大規模な敷地(5200平米)を取得。まちづくりを地域で考えるきっかけとなるが。

Q.再開発事業は、なぜ二転三転を?

平成元年、まちづくり協議会は区長に対し提言。
平成4年、まちづくり新整備構想。
平成7年、再開発準備組合設立(約3.1ha)。
しかし・・・「住民同意のない超高層マンションと税金投入は反対!」と、反対派のむしろ旗が、商店街中に立ちならび・・・
平成11年、都市計画決定を中断。
平成13年、再開発見直し方針を発表。
平成14年、基本計画素案(区域縮小)発表(約2.2ha)。
そして、平成16年、第一種市街地再開発事業を都市計画決定。
しかし、平成18年、組合設立へ向けた同意取得活動、同意は約6割で停滞。
平成22年~、区による見直し3箇年「まちづくりを考える会」で見直し。
平成24年、東側・西側・商店街の3つの分科会、地元主体で再検討。
平成25年~、「かみいた南口東 進める会」、新たな計画案(1.5ha)を。
平成28年、進める会が提案書を提出。
・東地区再開発準備組合を再設定(1.7ha)。
・西地区協議会を設立(約0.5ha)。
令和2年度中、東地区の事業認可を予定。西地区の準備組合を目指す。

以上、まちづくりへの地元の願いと住民合意をまとめる難しさがあり、30年以上の歳月をかけ、一進一退を繰り返しながらも、着実に前に進んでいます。

Q.まちづくりと東上線立体化?

東京都は、鉄道立体化の検討対象区間を、立体化準備区間に格上げするために、次の課題について総合的に検討し決定していく、としています。

① 鉄道沿線のまちづくり*計画の内容、熟度及び事業実施時期との整合
② 鉄道沿線の道路整備計画の内容及び事業実施時期との整合
③ その他関連する諸計画の内容及び事業実施時期との整合
④ 車庫、引上げ線など各種鉄道施設の取扱い
⑤ 周辺環境への影響
⑥ 鉄道立体化による費用対効果など
※なお、上記②~④については、各区間毎に記述する。

そして、「ときわ台~上板橋駅付近」区間の主な課題として、「補助244号線(七軒家通り)の整備計画及び事業実施時期との整合を図る必要がある」としている。
補助244号線(七軒家通り)の川越街道(放射8)から富士見街道の530mは、「東京における都市計画道路の整備方針」第四次事業化計画(平成28年度~37年度)の優先整備路線に指定されている。
しかし、この計画道路は、(富士見街道)その先、北前野小横の首都高下まで、約1.5kmの整備が全くの未着工。
東上線立体化との因果関係は・・・。
また、再開発の進捗は、まちづくりの熟度として、どのように判断されるのか・・・。北口ロータリーとの往来関係はどのように考えるか・・・。

Q.他にもある上板橋地区の大問題~中央図書館、城北中央公園等~?

上板橋駅周辺には、他にも板橋区立中央図書館建替えや、都立城北中央公園の陸上競技場問題などなど、様々な課題が・・・。

ご覧いただき、ありがとうございました。


参考

https://www.city.itabashi.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/006/324/attach_6051_1.pdf


https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/seibihosin/pdf/itabashi.pdf